【TK診療室 3-④】ダウン症候群の精神状況(4)
ダウン症候群の精神状況(4)
今回はダウン症候群の精神的諸症状からの診断と鑑別診断について説明を進めていきます。ご参考になれば幸いです。
診断と鑑別診断
精神障害
ダウン症候群をもつ人の精神障害を診断するのは難しいと思います。知的状況、言語表出の問題、難聴や視覚障害など様々な問題が関係するからです。自閉性スペクトラム障害を5-10%合併するとも報告されています22)23)。アメリカ精神医学会で定義しているDMS-IVによる診断としては、大うつ(311; 296.2)、妄想脅迫疾患(300.3)、非特異的精神症状(298.9)、適応障害(309.28)、非特異的不安症(300.00)などが該当するのではとの報告があります24)。
22)Downes A et al. Psychotropic Medication Use in Children and Adolescents with Down syndrome. J Dev Behav Pediatr 0: 1-7, 2015.
23)Capone GT et al. Risperidon use in children with Down syndrome, severe intellectual disability, and comorbid autistic spectrum disorders: A naturalistic study. J Dev Behav Pediatr 29: 106-116, 2008.
24)Akahosi K, et al. Acute neuropsychiatric disorders in adolescents and young adults with Down syndrome: Japanese case reports. Neuropsychiatric Disease and Treatment 8: 339-345, 2012.
精神障害に関係する身体的合併症
ダウン症(DS)者は、身体問題を自分で表出することが困難な場合にはそれが精神状態に多大な影響を与えることがあります。例えば、痛み、視力低下、痙攣発作、頚椎(亜)脱臼、泌尿器の問題、関節炎、糖尿病、歯科的問題、甲状腺機能低下症・亢進症、睡眠時無呼吸、胃腸障害、薬の副作用などについて検討していくことは重要である。また、精神的な特徴として、独語やグルーヴ(自分なりの順序だて。こだわり)についても理解していく必要があります25)。
25)ダウン症のある成人に役立つメンタルヘルス・ハンドブック、デニス・マクガイア、ブライアン・チコイン著(清澤紀子訳、長谷川知子監修)遠見書房、東京、2013年8月20日.
アルツハイマー病
多くの研究から、DS者では機能的な記憶障害と言うより行動上変化が認知症の初期症状であるとされています。DS者の前頭葉の予備容量の制限によってこれが説明される可能性があるとの報告もあります。確立している神経心理学のテストを使用して測定することで、個別の認識能力が認知症の初期および前臨床病期の開始からダメージを増加することが分かっています。記憶と見当識は初期に侵され、その後障害進行の中で実行、言語および視空間認知が害されるようになると報告されています26)。DS者の認知症のマーカーとしてはけいれん発作と精神症状が挙げられています10)。
26)Ball SL et al. Personality and behavior changes mark the early stages of Alzheimer’s disease in adults with Down’s syndrome: findings from a prospective population-based study. Int J Geriatr Psychiarty 21(7): 661-673, 2006.
10)Zigman WB: Atypical aging in Down syndrome. Dev Diabil Res Rev 18: 51-67, 2013.
退行様症状
私どもは2011年にDS患者のQOL向上のための塩酸ドネペジル療法について報告しました27)。この間、DS者が環境変化やある出来事を契機として、またはそのようなことを誰も気付かないまま、1-2年という比較的短期間に日常生活能力(ADL)の低下を来す急激退行とも言うべき症状を経験してきました。臨床症状としては、明確に区別できる訳ではありませんが、主症状から4つに大別できそうです。最も多いのは、元気がない、表情が乏しくなる、動きが鈍くなる、言葉数(又は発語数)が少なくなる、家(部屋)から出ないなどいわゆる内向きの症状が中心の状況です。次に、イライラ、パニック、大声を出す、対人的に表情が険しいなどいわゆる外向きの症状が中心の状況があります。もう1つは、行動のみが非常に遅くなるタイプもあります。最後に、不安が強いことが前面に立ち、「こわい」と言う言葉を発したり、夜眠れなく電気をつけて回ったりという感じです。これらが目立ちますが前提的には様々なADLの低下を示します。日本障害者歯科学会でのアンケート調査からは、ダウン症者のおそらく4-5%(我が国で3,000〜4,000名)存在することが示唆されました。
2010年の厚生労働省班研究でダウン症者の急激退行の診断基準が示唆されました28)。1. 動作緩慢、2. 乏しい表情、3. 会話、発語の減少、4. 対人関係において、反応が乏しい、5. 興味喪失、6. 閉じこもり、7. 睡眠障害、8. 食欲不振、9. 体重減少 の9項目のうち、1-2年の期間で5項目以上について支障を強く感じるものを急激退行、2-4項目該当者を疑い例、0-1項目は否定的とするものです。今後、これの妥当性や病因・症状対比など更なる検討が待たれます。これについては、「ダウン症候群における社会性に関連する能力の退行様症状」として、日本小児遺伝学会のホームページに掲載されています29)。
自然経過を診て行くと、症状的にアルツハイマー型認知症(AD)の自然経過と異なる状況も存在します。DS者におけるADの初発症状は短期記憶の障害ではなく、うつ的状態、気分の動揺、睡眠障害や指示に対しての過度の抵抗など情緒や行動の変化であるとされています26)。発症年齢も脳の病理的変化と必ずしも連動しないようです。ADの大脳病理検査では老人斑といわれる神経細胞毒性の強いβ-アミロイド蛋白の沈着や神経原線維変化がみられます。
DS者の老人斑はADの場合と同様に主としてß-アミロイドで構成されているものですが、発症時期が通常のAD者よりかなり早く、早いもので10歳代のDS者にみられ、30歳代には全例出現するとされます。神経原線維変化は老人斑より遅れて現れ、やはり通常のAD者より早く30歳以降のDS者にみられることが多いとされています30)。現実的には神経原線維変化の後、神経の脱落が起こり、認知症が発症するならば少なくとも30歳以降のDS者が発症するということになりますが、私どもの経験からは、20歳を中心として14-15歳から24-25歳の間で起こることが多いようです。ADでは、疾患の期間は軽度が約2年、中等度が約1.5年、高度が約5年で全経過として発症後8年から10年で死に至るとされています(これはその発症年齢が高齢であることも関係するのかも知れません)。DS者で急激退行様症状の方は、発症して1-2年でQOLに甚大な障害を及ぼし、20年以上生命的には大きな問題なく、そのままの状態で推移していることが少なくありません。また、環境整備などが効を奏してか、薬物など使用せずに自然軽快する例も存在します。
上記の退行様症状をうつ的状態(Depressive Illness)として報告されているものもあります31)。DS者のうつ病や軽微な気分障害(気分変調)の主な症状としては、うつ的状況、泣く、興味消失、行動の緩慢さ、疲れやすさ、食欲や体重の変化、および睡眠障害があげられると紹介されています。抗うつ薬による治療や環境整備、ストレスの除去などに努めて、効果を示す例もあれば示さない例もあることが状況をより一層複雑にしています。
同様のことが2009年に英国精神医学会からのガイダンスでも「ダウン症者における非典型的な症候」という項目で紹介されていますし32)、同様の症状を持つDS者において様々な関連疾患を除外しでも不明の群が存在することを報告しています33)。不明の群の方たちは以下の様な特徴を示す兆候があることが報告されています。1) 6ヶ月以内に日常生活能力や基礎的能力の以前と比し明らかな低下を示す。2) 認知力の低下も示す。3) 行動機能や気分の説明が着かない代償不全、4) 発語の消失、5) 10-30歳で通常思春期後に発症する、6) 発症の前に自閉性スペクトラム疾患、乳児痙攣、痙攣性疾患や重篤な精神疾患の病歴がない。
メモ:急激退行については、私は平成14-15年位までは存じませんでした。多分、私が小児科医で成人期のダウン症者・ご家族と診療という立場でお会いする機会が少なかったことも関係するのかも知れません。現在のみさかえの園総合発達医療福祉センターむつみの家の総合発達外来ではその外来の性格上(年齢が関係ない外来のため)、数多くの成人ダウン症者がお出でになっています。本当に深刻な方が多いです。色々な病院に行かれて(または行こうとして)、その心配事が解消されていない方が来院されることが多いのでそうなっていると思います。そのため、現在はその深刻な方・家族が何とか解決の糸口を家族と一緒に見いだせないか四苦八苦しています。「急激退行」と言う言葉は、東京学芸大学の菅野敦教授が言われた言葉と思います。多分、その当時、医療関係者はほぼダウン症者のそのような状況についての認識が薄く、教育の立場の方がそのご相談を担っていたということかも知れません。「退行」は、以前、ジークムント・フロイトによれば防衛機制ひとつであり、許容できない衝動をより適切な方法で処理するのではなく、自我を一時的または長期的に、発達段階の初期に戻してしまう事であるとされている。退行の防衛機制は、精神分析理論においては、個人の性格が、より幼稚な性格を採用し、発達段階の初期に戻るときに起こります。つまり、幼児の下に赤ちゃんが生まれた際に、自分に構ってもらいために、これまでお話ができたのに急に「ばぶー」などと赤ちゃん言葉を使うものなどを「退行」と言うことになります。フロイトは有名で、精神医学に多大な影響を与えているため、「退行」問う言葉はこれのことを指すという考えが医学に根強いと思われ、ダウン症者が急に日常生活能力の低下を示すことをいう「退行」が医学の中で浸透するのに難しさがあったのかなと思います。「急激退行」は明らかに見た目の「症状」であり、病因がよく分かっていません。又は、複数の病因からこのような症状を来しているのだと思います。その病因を探る術が明確でなく、そのため、根本的な治療を考えることを難しくしています。
28) 厚生労働科学研究 報告書 https://research-er.jp/projects/view/151884
29) 日本小児遺伝学会ホームページ:「ダウン症候群における社会性に関連する能力の退行様症状」の診断の手引き http://plaza.umin.ac.jp/p-genet/downloads/Down_synd_guideline.pdf
30) Wisniewski KE et al. Occurrence of neuropathological changes and dementia of Alzheimer’s disease in Down’s syndrome. Ann Neurol 17:278-282,1985
31) Capone G, Goyal P, Ares W, et al. Neyrobehavioral disorders in childres, adolescents, and young adults with Down syndrome. Am J Med Genet 2006; 142C: 158-172.
32)Dementia and People with Intellectual Disabilities – Guidance in the assessment, diagnosis, interventions and support of people with intellectual disabilities who develop dementia – The British Psychological Society, 2009.
33)Jscobs J et al. Rapid clinical deterioration in an individual with Down syndrome. Am J Med Genet Part A 9999A: 1-4, 2016.
2019年5月12日