【TK診療室 3-⑤】ダウン症候群の精神状況(5)
ダウン症候群の精神状況(5)
今回はダウン症候群の精神的諸症状の治療などについて話を進めていきます。今回は、お薬の名前などがたくさん出てきます。病態が非常に複雑ですし単純化することが難しく、書いてあるお薬を使用しても必ずしも全員に効果的と言うことでもありません。ただ、考え方などご参考にしていただければと思います。
治療と予後
精神障害に対しての治療
ダウン症(DS)者は、知的障害や様々な合併症を持つことから、日常生活上の何かがきっかけになっての心因反応であったり、痛みなどの身体問題を自分で表出することが困難な場合に不適応行動というかたちで認められることがあります。そのため、ダウン症候群を持つ方をよく理解し、環境整備も含め検討することが極めて重要です25)。
DS者に対しての向精神薬としては様々な薬剤が使用されています24)。うつ病(うつ的状態)にバルビツレート系(フェノバール)、クロルプロマジン、フェノチアジン系(プロメタジン)、SSRI(フルボキサミン)、ベンゾジアゼピン系(プマゼパム、ニトラゼパム)、抗てんかん剤(カルバマゼピン)、イミプラミン系(クロミプラミン)、抗パーキンソン剤(アマンタジン)、スルピリドなど様々な薬剤が文献上使用されています。妄想脅迫疾患には非定型向精神薬(リスペリドン)、フェノチアジン系(レボメプロマジン)、アマンタジン、クロミプラミンを、非特異的精神疾患にはブチロフェノン系(ハロペリドール)、ベンゾジアゼピン系(メソキゾラム)、レボメプロマイン、プロメタジンを、非特異的不安症にはフルボキサミンなどを使用して効果を挙げているとの報告もあります。
海外ではDS児・者への向精神薬としては、メチルフェニデートなどの中枢神経刺激薬、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)、リスペリドンなどの非定型向精神薬やαアドレナリン作動薬が使用されているようです22)。5-11歳で注意欠陥多動性障害(ADHD)の様な症状が中心のダウン症児では中枢神経刺激薬が最初に使用されることが多いと海外の論文にはあります。11歳以降では使用頻度が減少する経過があり、SSRI、非定型向精神薬、αアドレナリン作動薬を症状に併せて使用している現状があります。SSRIは不安やうつ的症状を来すときに使用されています。ダウン症児の年少の時期には他害や激しい行動などの外向的な症状を来すことが多く、思春期や若年成人期には徐々に内向的な問題を呈することが少なくありません。非定型向精神薬は非刺激性の亢進や攻撃性が強い時に使用されます。男性の方が女性より非刺激性の亢進や攻撃性が強い傾向があり、非定型向精神薬の使用頻度が高いようです。
3-13歳で自傷や他害が強い重度な知的障害をもつDS児にリスペリドンを初期量0.25-0.5 mg/日 を服用後、維持量として0.25-1.5 mg/日または0.009-0.063 mg/kg/日で投与したところ、状況が改善したとの報告もあります34)。
25)ダウン症のある成人に役立つメンタルヘルス・ハンドブック、デニス・マクガイア、ブライアン・チコイン著(清澤紀子訳、長谷川知子監修)遠見書房、東京、2013年8月20日.
24)Akahosi K, et al. Acute neuropsychiatric disorders in adolescents and young adults with Down syndrome: Japanese case reports. Neuropsychiatric Disease and Treatment 8: 339-345, 2012.
22)Downes A et al. Psychotropic Medication Use in Children and Adolescents with Down syndrome. J Dev Behav Pediatr 0: 1-7, 2015.
34)Capone GT et al. Risperidon use in children with Down syndrome, severe intellectual disability, and comorbid autistic spectrum disorders: A naturalistic study. J Dev Behav Pediatr 29: 106-116, 2008.
神経伝達物質に対応した治療
上記で述べたように、ダウン症(DS)脳内ではコリンシステム低下、セロトニンシステム低下、ノルエピネフリン低下、ギャバ(GABA)上昇、グルタミン酸上昇を認める傾向にあります15)。これらを踏まえて、様々な治療の試みがされています。
コリン作動性を改善する方法としては、アセチルコリンレベルの増加と成長因子伝達改善が模索されています。前者ではアセチルコリンエスレターゼ阻害により、コリン伝達を増強することを期待されていますが、現在のところ効果が明確に証明されている訳ではありません。後者に関して神経成長因子(NGF)は前脳基底核領域コリン作動性ニューロンの成長維持に重要な役目を果たしていることから、DSマウスの実験で脳内へのNGF注入はこのニューロンの変性や萎縮を予防でき、AD患者へNGF産生細胞の脳実質内注射は有望な結果を示しています。DS児にNGFの直接の実質内注射を使うことは現時点では現実的はないのではと思ってしまいますが、脳基底核領域コリン作動性ニューロン内でのニューロトロピンの逆行の軸索輸送を促進する新たな薬理学産物の開発は有益であるかも知れません。
セロトニン(5-H)システムに関しては以前、ADを合併していたDS者で5-ハイドロキシ・トリプトファン(5-HTP)を服用することで自傷や攻撃性を減少させることが出来ると言われていました。最近では選択性セロトニン再吸収抑制剤(SSRI)がDS者のうつ的傾向に有用で、攻撃性、強迫神経症、引きこもりに使用できるとされています。ダウン症マウスでも同様の効果を認めているようです。
ノルエピネフリンシステムに向けては、脳内のノルエピネフリンレベルの増化とノルエピネフリン・シグナルの改善の方法があります。前者ではDSモデルマウスにL-DOPS(L-threo-3,4-dihydroxyphenylserine)を皮下注射することで前後関係の記憶が復旧したとの報告があります。この薬剤は、神経因性起立性低血圧の治療薬としてFDA(米国食品医薬品局)が承認しています。アトモキセチン(Atomoxetine)は選択的ノルエピネフリンの再吸収阻害剤で、ADHDの治療薬として知られています。この薬をDSモデルマウスに使用した所、前後関係の記憶の改善には直接的には結びつかなかったものの、L-DPPSと併用することで認知機能の劇的改善を示したとの報告があります。一方、シグナルの改善として、β1とβ2アドレナリン受容体への刺激剤はDSモデルマウスで前後関係の記憶の劇的効果を示したそうです。気管支喘息治療薬のロングアクティングβ2アドレナリン受容体作動薬であるフォモテロール(formoterol)を高濃度連日注射すると、DSモデルマウスで認知機能の劇的改善、シナプス濃度の復旧などが認められています。更にシナプス可塑性の改善はアルツハイマー病モデルマウスのアミロイド変化(Aβ40/42)も減少させています。これらから、アドレナリン療法は、前後関係の記憶の改善やダウン症成人でのアルツハイマー病予防にも何らかの効果が示唆されています。DS者においてはβアドレナリン受容体らやαアドレナリン受容体をターゲットとした治療は行われていませんが、前シナプスアドレナリン作動薬はアルツハイマー病のパニック(動揺、アジテーション)には効果があることが示されています。これらからDS者に非常に有望な薬ではあるかもしれないが、副作用が懸念されます。
ギャバ(GABA)システムの改善に関係して、ギャバA受容体遮断薬であるピクロトキシン(picrotoxin)による過剰抑制の制御は部分興奮性接合部後電位の導入を改善することが報告されています。ギャバA受容体活性調整因子であるRG1662がDS者の認知障害の重症度を軽減できるか否かの臨床研究が行われていました。
グルタミン酸システムの改善を目指す方法として、NMDAR遮断薬が考慮されます。メマンチンは非競合性NMDA受容体遮断薬で、ADの治療に用いられていますが、ADの認知障害にも効果があるとされます。若年ダウン症者へのメマンチン療法で効果があったとの報告もあります。最近、販売されたAMPAR遮断薬であるペランパネル(perampanel)製剤も理論的には意義がある可能性があります。
一方、我が国で使用されている漢方薬である抑肝散はセロトニン遊離を促進させ、グルタミン酸の過剰放出を抑制することが知られており、ダウン症候群患者の脳内伝達物質の不具合にマッチしています35)。実際に使用してみると良い印象があります。
結局、ダウン症者の認知機能については様々な神経伝達物質が関与しているため、1つの神経伝達物質をターゲットしたものでは限界があるのかも知れません。
メモ:世界中で実に様々な治療研究がされていることに驚かれることと思います。しかし、実際にお薬をダウン症者に使用するためには、安全性が担保されることが極めて重要で、その上で効果が科学的に証明されないといけません。様々な原因で、同一の様に見える症状がありそうで、上記の様々な治療が原因とマッチすると非常に効果的になりますし、そうでなければ効果が見えにくくなります。この原因を明確にすることが現時点では難しく、そうなると雑多な原因が入り込むことになります。このようなことが原因で、ここに効果的な方がいるのは確かでしょうが、DS者全員に広げることが難しく、科学的に効果があると言いにくくなり認められにくいという結果になってしまいます。お薬を保険適応で使用できるようにすることがものすごく難しいということがご理解できるのではと思います。私どものは脳内アセチルコリン改善薬(塩酸ドネペジル:アリセプト)を何とかダウン症者の急激退行様症状の治療の1つにと検討を進めていますが、難渋している理由は、急激退行様症状の原因が雑多であろうこととその中でアセチルコリンの不具合を有する症例をえり分けることが難しいことに他ならないと思っています。ここが明確になると良いなあと思っています。
15)Das D et al. Neurotransmitter-based strategies for the treatment of cognitive dysfunction in Down syndrome. Prog in Neuro-Psychopharmy & Biol Psychiat 54; 140-148, 2014.
アルツハイマー病に対しての治療
アルツハイマー病(AD)の治療としては薬物療法と環境整備が主体になりますが、ダウン症候群に特化しての治療戦略というより、一般的な方法をとられている現状があります。現在我が国で使用されている薬剤は、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤としてドネペジル、ガランタミン、リバスチグミンの3種類、NMDA受容体拮抗薬としてメマンチンなどです。しかし、DSではアセチルコリンやグルタミン酸のみならず他の神経伝達物質の不具合も知られているため症状によっては他の薬剤の使用も検討すべきかも知れません。
退行様症状に対しての塩酸ドネペジル療法
私どもは、倫理委員会承認後2002年6月よりこれまでに約80名のDS者にアセチルコリンエステラーゼ阻害剤である塩酸ドネペジルを服用していただいています36)-39)。14年を経過するものもいますが、少なくとも甚大な副作用は現在まで出現していません。DS者で退行様症状を来した10〜20歳代の方、30〜50歳代の方いずれにもQOLを上げる効果を示しています。初期の効果としては、朝の目覚めが良くなるなどの日常生活パターンの確立、積極性や言葉の明瞭化や数えられる数の増加など言語面の改善が認められました。知的障害が重症であっても軽症であっても治療効果を認めています。更に、3 mg/日という低用量でそのまま良い状態を維持している方もいれば、動作が鈍くなるなど陰りのみえた患者で4〜5 mg/日に増量して、再度状況が改善した方もいます(我が国では通常維持量としては5mg/日、症状によっては10mg/日まで、諸外国では通常維持量としては10mg/日、症状によっては23mg/日まで認められていますので、ダウン症者で増量と言っても通常維持量以下にしています。これは、ダウン症者での薬の解毒作用が強くない可能性があり副作用に注意して使用するためにそうしています)。どちらかと言えば、内向的な問題が前面に立っている方がより効果的で、外向的な問題が中心の患者にはその問題点がより強くなり中止した例もあります。これらの患者では非定型抗精神病薬(リスペリドンなど)との併用で効果的であった患者も経験しています。内向的なものが中心的な状況でも、外向的なものが中心の患者でも、排尿障害、排便障害には一定の効果がありそうです。そのため、現在長崎大学小児科、同泌尿器科、佐賀大学泌尿器科、みさかえの園総合発達医療福祉センターむつみの家でダウン症者の排尿障害について塩酸ドネペジル療法の多施設臨床研究を行っています。抗うつ病を使用して効果が乏しかった患者においても塩酸ドネペジル服用で効果を示した例も存在します。また、数少ない塩酸ドネペジル中止例においてもその後良い状態を数年維持している方もいます。 副作用については下痢などの腹部症状を中心に頻回に出現したが重篤なものはありませんでした。血中濃度を測定したところ、健常日本人と比し明らかに高く、また効果や副作用の発現とよく相関することも判明しています40)。 このことも留意して塩酸ドネペジルの量を設定しています。ダウン者者の急激退行症状の少なくとも一部には塩酸ドネペジルが効果的である可能性があります。今後、更なる急激退行の詳細と病因との関連性の解明ができることを願っています。
36) T.Kondoh, N.Amamoto, T.Doi, H.Hamada, Y.Ogawa,et al.: Dramatic Improvement in Down Syndrome-Associated Cognitive Impairment with Donepezil. Ann Pharmacother, 39(3), 563-6, 2005.
37) 近藤達郎:ダウン症候群患者における日常生活能力改善のための塩酸ドネペジル投与に関する研究. 日本小児臨床薬理学会誌 19, 123-127, 2006.
38) 近藤達郎、森内浩幸:ダウン症候群患者への塩酸ドネペジル療法. 日本小児科学会雑誌114, 15-22, 2010.
39) T.Kondoh, A.Kanno, H.Itoh, M.Nakashima, R.Honda, et al.: Donepezil significantly improves abilities in daily lives of female Down syndrome patients with severe cognitive impairment: a 24-week randomized, double-blind, placebo-controlled trial. Int J Psychiat in Med 41, 71-89, 2011.
40) T.Kondoh, M.Nakashima, H.Sasaki, H.Moriuchi: Pharmacokinetics of donepezil in Down syndrome. Ann Pharmacother, 39(3):572-3, 2005.
最近の話題:エピゲロカテキン
従来、緑茶等のフラボノイド含有食品は抗酸化作用によりアルツハイマー型認知症(AD)に対し認知力を向上させる作用がある事が知られていました。茶カテキンに一成分であるepigallocatechin-3-gallate (EGCG) はチロシンリン酸化キナーゼであるDYRK1A(21番染色体のDS critical region(DSの臨床症状に大きく関係する領域)内に位置する) を抑制する作用があり、DSモデルマウスの認知力向上に効果を認めていました41)。DS者においても9mg/kg/日量のEGCGを連日投与した所、プラセボ群と比較して視覚認知力、衝動抑制と適応行動の面において有意に効果があったとの報告があります42)。
更にEGCGは、DYRK1Aのアンタゴニストである点より、ADの発症・進行に関係するネプリライシン低下を防ぐ可能性も示唆される。
メモ:緑茶の茶カテキンが効果的と言われています。我が国はお茶の文化を持っていますので是非日常偽使用していただければと思います。スペインの研究で使用した錠剤と同じお茶としての量は600ml程度と推察されます。たくさん作って冷蔵庫で冷やして日常飲まれるのが良いかも知れません。
41)Guedj F et al. Green tea polyphenols rescue of brain defects induced by overexpression of DYRK1A. PLoS One 4: e4606, 2009.
42)Torre RDL et al. Safety and efficacy of cognitive training plus epigallocatechin-3-gallate in young adults with Down’s syndrome (TESDAD): a double-blind, randomized, placebo-controlled, phase 2 trial. Lancet Neurol 15: 801-810, 2016.
予後
米国の1979年〜2003年の出生率は9.0から11.8/10,000出生(1/847-1,111出生)と31.1%増加しています。これらのこともあり、55歳以上のダウン症者は米国で21万人以上いることが推測されています10)。現在では諸外国のダウン症男性の平均寿命が61.1歳、女性が57.8歳とされています。2008年に70歳の21トリソミーの健康な男性で認知症の症状を全く持たない方の報告があります10)。米国以外でも、オランダでも約58歳43)、オーストラリアで約59歳44)との報告があります。性差については、男女で生命予後に差異がないという報告43)と男性の方が長いという報告10)44)があります。なぜ、男性の方が長生きなのかはよく分かっていないと思います。認知症の有無では生命予後に有意差を認めなかったとの報告もみられます43)。
以上のことから、わが国のダウン症者の平均寿命は少なくとも60歳前後であり、最年長は70歳後半以上であろうと推測されます。我が国でもDS者では呼吸器感染症で亡くなることが多いことが知られているようです。年齢が高くなったら、呼吸器感染症には注意が必要です。精神的にも健康な人生を送ることは非常に重要であると思われます。
10)Zigman WB: Atypical aging in Down syndrome. Dev Diabil Res Rev 18: 51-67, 2013.
43)Coppus AMW et al. Survival in Elderly Persons with Down Syndrome. J Am Geriatr Soc 56: 2311-2316, 2008.
44)Glasson EJ et al. The changing survival profile of people with Down’s syndrome: implications for genetic counselling. Clin Genet 62: 390-393, 2002.
2019年5月12日